プロフィール
田中 真さん
現職:AIベンチャー企業 情報システム管理者
自衛隊在職時最終役職:航空自衛隊1等空尉
元自衛官キャリアインタビュー Vol.28
経歴
ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、田中さんの経歴を教えていただけますか。
田中さん:防衛大学校を卒業後、航空自衛隊に入隊。通信電子職域の業務や副官、総務人事職域の業務を経験しました。
最後は航空機部隊で勤務し、そこで今後の家族としての人生について考えるキッカケがあり、自衛隊を退職。
退官後は、東京の東大発AI(人工知能)ベンチャー企業へ転職しました。そこで、様々な業務に携わった後、より専門性を磨きたいと感じ、現在は別の東大発AIベンチャー企業にて、情報システム管理者として勤務しています。
ーー自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。
田中さん:防衛大学校に入校した背景は、高校3年生時に友人が航空自衛隊へ入隊するという話を聞き、初めてそういう道もあるのかと興味を持ちました。
そこで、調べて出会ったのが、防衛大学校という道でした。私の出身である鹿児島県では、防衛大学校に対する評価が高かったこと、そして普通の大学では学べない事や精神的、体力的にも強くなれ、自分を鍛えられるとの思いで志望しました。
数学200点満点中8点から防衛大学を目指す
ーーすんなりと志望校を決定されるとは、優秀な学生だったんですね。
田中さん:全然そんなことはなかったです。高校3年生の夏時点で、数学模試が200満点中8点という絶望的な成績でした笑。そのため、現役合格は考えずに、そこからが私の受験勉強の始まりで、浪人して朝から晩まで勉強漬けの毎日でした。
その甲斐あり、無事合格。想像していた以上に濃い4年間は、その後の人生で貴重な糧になったと感じております。
ーー航空自衛隊配属は志望した通りだったのですか?
田中さん:航空自衛隊を志望した理由は、とくにこだわりがあったわけでは無かったんです。
防衛大学校では、2年に学科の専攻と共に、陸・海・空要員を選択します。ただ、私にその優先はなく、陸なら応用科学科、海なら地中海洋学科、空なら情報工学科というような志望をしたところ、結果的に航空要員(卒業後、航空自衛隊へ配属)となりました。
配属後は、まずレーダーサイトの小隊長を勤務し、その後防衛大学校理工学研究科の研究員や術科学校の教官業務に従事しました。
また、キャリア後半は、専門幕僚職としての副官、一般幕僚職としての総務人事班長を経験し、1尉までで経験可能な自衛隊幹部の職種としては一通り経験させていただけました。
「組織」を意識することを考えた初級幹部時代
ーー幕僚職もいろいろあるんですね。自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。
田中さん:強く残る思い出としては初任地の小隊長時代と最終任地の総務人事班長時代です。
初任地の小隊長時代では、当時の隊長から
「田中は、1を聞いて10を知り、9を捨てる」
と豪快に笑いながら指導されたことがあります。
これは、他部署が主管のプロジェクトに参加した時の話です。この進め方だと、最終的に問題が生じるのではと感じていましたが、担当者ではなかったため、自分の部署の事だけを考えていました。
結果、懸念していた通り問題が生じ、上司へ「やはり、こうなりましたね」と話していたところ先程のように指導されました。
いくら頭の中で分かっていても、それを発露して行動しなければ価値が無いと、今でも自戒の言葉になっています。
幹部自衛官は役職の兼務が多く、一般的に多忙です。そのため、これまでは、自分の職務範囲でしか余裕がありませんでした。
ただ、航空自衛隊は掛け算の組織とも言われるだけあり、他部署業務が後に自分の部署にも影響します。
すると手戻りの発生から結果的に工数が増えることを経験し、より俯瞰した全体的な目線で行動するようになったと思います。
そうした考えのもと、職務にまい進してきましたが、総務人事班長職が、私の自衛隊のキャリアの区切りとなりました。ここでは業務的にも家庭的にも様々な事が重なり、多くは書けませんが、精神的に相当堪えた時期でした。
そういった辛い環境の中でも、自分を支えてくれ共に頑張ってくれた部下との日々のやりとりが、かけがえのない時間だったと感じています。そして、自分にとってより身近なかけがえのない人達に改めて目を向ける時期でもありました。
一番大切な家族を守るために転職を決意
ーー身近な人とは、家族でしょうか?自衛隊を退職した理由にも繋がりそうですね。
田中さん:そうですね。僕の場合、退職した理由は2つあります。
家庭の優先と体感的ROI(Return On Investment : 投資対効果)を評価される職場で働きたいの意欲が湧いたことです。
まず家族の優先について話しますと、当時、仕事の関係で帰宅が非常に遅く、かつ不慣れな降雪地帯の環境、そして初めての育児で、私も妻もノイローゼ気味になっておりました。
妻から苦痛を吐露されましたが、当初はそれでも辞めようとは思っていませんでした。ここを乗り切れば状況は改善されると考えていました。しかし、月日が経過しても状況は変わりませんでした。
これは民間企業を経験して改めて実感していることですが、自衛隊は組織の性質上、1度始めた施策を止めることが難しく、何か対応が必要になることが起きれば、新たな施策が追加され続け、結果的に業務量が増加していってしまいます。
そして、目の前の業務消化に追われる毎日で、職域幹部として本来考えなければならない課題に向き合う時間も持てず、自分の行っていることの費用対効果に疑問を感じ、組織への貢献がより身近に実感できる環境で仕事がしたいと思うようになりました。
それでも30代前半で、かつ民間企業に直結するスキルも無い状況で、転職は相当厳しいと思いましたし、また自衛隊独特の、家族にも似た職場環境から離れることは捨てがたく、辞めるつもりはなかったです。
そんな自分の転職を決意させたのは、家族を含めた自分の人生のあり方について改めて考えたことでした。
ある時、妻から、
「2年に1度のペースで全国転勤し、その度に知らない土地で私はゼロから関係を構築しなければならないけど、貴方はいつも仕事で不在で、私が子どもの面倒を見続ける、これでは何のために結婚して付いてきたか分からなくなってきた」
と言われました。
妻の視点に立ってみればそのとおりで、彼女からするとただ苦行を受けているようなものです。
私も妻も、今が一番大変な時で、きっとこの数年を耐えればとの思いもありましたが、普段明るく社交的でネガティブな事を言いたがらない妻が、胸の内を吐露する程に精神的に厳しいところまできていました。
また私も業務と育児により睡眠時間を十分に取れず、いつ私か妻かメンタルダウンするかも分からない状況でした。
そうした状況で家族のあり方を改めて考えた時に浮かんだのが、自分の両親でした。
私にとっての両親は自分の理想そのもので、仲睦まじく、時には厳しく、子どものことを1番に考えてくれていたと感じています。そうした家庭自分も築きたいと思っていました。
仕事は大変やりがいがある一方で、家庭の危機的状況については一刻も早く打破する必要がありました。
そのため、転職することを決めました。
なかなか通過しない書類選考と面接のため移動12時間
ーー転職時の就職情報収集、スケジュール、準備等必要だったと思います。どのような準備をされましたか。
田中さん:自己都合退職ですので自衛隊の援護の支援は受けませんでした。
本来は受けた方が良いですし、部下が依願退職する際は、援護の支援を勧めました。ただ、私自身が、当時退職自衛官の援護業務を支援する総務人事幹部だったこともあり、自分のことでリソースを使ってほしくない気持ちと、純粋に独力で道を切り開きたいとの思いがありました。
ここは私の個人的な感情に起因するものであり、セカンドキャリアをご検討されていらっしゃる方は積極的に活用すべきと思います。
退職は半年ほど掛かりました。上司に伝え、慰留されたものの、最終的に、ご理解いただき、退職を承認されました。
恒常業務や業務引継ぎ等に支障が無い前提で、転職活動を応援してもらい、転職活動も順調に進められました。
転職活動は、大手エージェントサービスをいくつか利用し、アドバイスを受けながら履歴書、職務経歴書作成や面接の準備を進めました。
ただ、自衛隊から企業への転職となると、ハードスキルが無い割に年収が高いため、他候補者との比較で書類落ちしてしまうことが非常に多かったです。
それでも面接に進めた際は、勤務地都合上、初回は電話面接にしてもらい、最終面接近くなると、対面面接にしてもらっていました。
余談ですが、今はコロナ禍の状況もあり、内定まで選考を全てリモートで行うところも多くあります。
そんな活動を3ヶ月ほどしていた中で、たまたま、ベンチャー企業で社長運転手の求人があり、年収も悪くなかったので応募したところ合格。在職中に決められて、ほっとしましたね。
ベンチャー企業で、いろいろな業務を経験、やりたいことを知る
ーーセカンドキャリア第一歩ですが、どのような会社だったんですか。
田中さん:幹部自衛官からの転職は、難易度が高かったことと、いわば突発的な転職活動だったこともあり、転職に際し具体的なビジョンを持っていたわけでも、セカンドキャリアに向けて何かしらの準備していたわけでもありませんでした。
そうしたビジョンがなかったことが、転職活動が難しかった理由ではないかと今は思います。そのため、自分ができることという目線で求人企業を探していました。
そこに社長運転手の求人がありました。元々副官時代に、運転手ともよく連携していて大体の仕事の要領はつかめていましたし、運転手として企業環境に慣れてから総務部署等へ業務拡大していける可能性も感じたため、応募しました。
転職先はスタートアップのベンチャー企業で、一般的に環境の変化はめまぐるしく、カルチャーも千差万別、成熟された組織から転職するとかなりのギャップを感じます。また、通常では起こらないこともよくあります。
私も正にその洗礼を受けました。経営管理部門所属の運転手で雇用契約を交わしたのですが、いざ入社すると、研究開発部門の開発室所属に変わっており、いきなりアプリケーションのエンジニアをすることになったのです。
説明すると長くなってしまいますので、配属や業務の概略だけ話すと、
入社前:(運転手)
入社後:
・開発室(アプリケーション,python等)
・開発室(クラウドインフラ,AWS,Docker,Kubernetes等,単体~大手SIer主管の結合テストまで)
・危機管理室立上げ(情報システム、情報セキュリティ、運転手、危機管理)
・総務部へ組織改編(上記+総務)
・本社増床、他拠点新設・移転
・ISO27001、JIS Q 15001の認証取得
これを約1年半年で経験しました。短期間でここまで経験できたことはスタートアップ企業の中でも稀で、この話をすると、未経験者がここまで早期にキャッチアップして業務遂行できたことに驚かれます。
当然ながらベンチャー企業は未整備の事が多く負荷も相応にありますが、スキルの急速練成が可能な環境でもあります。
伝統ある成熟された組織とは対極的な環境はカンフル剤のような刺激があり、ベンチャー企業の醍醐味とも言えます。
ーーなるほど、いろいろと経験する中で、自分のやりたい事が見出せたんですね。今はどのようなお仕事をされていますか。また、ご自身の今後のキャリアをお聞かせください。
田中さん:現在は、事業会社において、情報システム管理者としてコーポレート全体の情報システムや情報セキュリティに関する仕事をしています。
データマネジメントに興味があるため、この専門性を高めて、今後は、CISO(Chief Information Security Officer)を目指しつつ、これは余力があればですが、兄がオクラ農家をしているので、AIを含むデータサイエンスを学び、起業してデータマネジメントの支援や兄の仕事の何か手助けをできればと思っています。
安心してください。今できなくても業務はキャッチアップできます!
ーー企業の情報系のトップを目指されるということですね。では、田中さんが考える、自衛官だった事で活用できる能力、マインド、スキル等ありましたら教えてください。
田中さん:自衛官の専門職域で仕事をしていた場合、それらのハードスキルも評価されうると思いますが、共通として評価されるのはソフトスキルです。
とくに、幹部自衛官は、キャッチアップ能力とそれに付随する実行力が評価されやすく、これらは自衛隊以外でも発揮する機会が多くあると思います。
僕の場合でいえば、運転手として採用されたものの、結果、開発、インフラ、コーポレートIT、セキュリティ、企業総務の業務を任され、いずれにおいても、相応の成果を出すことができました。
今思い返せば、自衛隊在職時の2年に1度、ポストも環境もガラッと変わり、ほぼゼロベースから、いろいろと対応することや作り上げることが求められる環境に身をおいた経験が大きいと思っています。
そのため、今やっていないから出来ないと思うのではなく、今までのそうした対応力から、新しいことでも十分に対応や成果の獲得ができると思っています。
再就職、転職する自衛官に向けてのアドバイス
人生100年時代、セカンドキャリア充実のため、考えましょう
ーーこれから再就職をする人に向けてのアドバイスをお願いいたします。
田中さん:今の会社は、自衛隊退官後、すでに2社目ですが、最も大変だと感じたのは、自衛隊からの転職でした。
在職中の職種的な特技があれば、その特技を活かした組織へ就職は有利ですが、基本的には企業に直結するスペシャリティがない方の方が多いと思います。特に、幹部自衛官はその傾向が高いと思います。
そうした中では、どうしても始めの書類選考でかなりふるいにかけられ落とされます。
採用の評価基準は、即戦力になれるかどうかになってきますので、できれば書類選考上評価されるスキルや資格取得等を行っておくことをお勧めします。
一方で、私のように退職を考え始める時点で突然準備をすることは難しいかと思います。そのため、退職するしない関係なく、もし明日から自衛隊以外で働くことになったらどうするかと自問し、必要な準備をしておくことをお勧めします。
自衛隊から初めて転職する場合、職務経歴書には自衛隊の内容が主となります。そのまま業務概要を記載しても企業の採用担当者からすると評価しようがありません。企業の採用担当者が評価できるような形に職務経歴書の記載や面談時の説明を行うことも大切です。
例えば、求人の業務内容によって、職種がエンジニアやSIerなら、具体的名称には触れないままシステム連接、仕様書、設計書、プロジェクトマネジメントといった話に、コンサルなら、MECEやブレスト手法等のロジカルシンキングに基づく問題の仮説設定から解決までの話に言い換えられることもあります。
そのため、企業が使用している一般的な用語・手法を普段の業務で意識してみるのもよいかと思います。
上記のように心がけることは、自衛隊でキャリアを全うしても、人生100年の時代において定年後のセカンドキャリアが必ず待っているのですから、準備して無駄になることはありません。
そして、1度転職した後は、もちろん相応の努力の前提の下ですが、その後のキャリアについて過度に心配することは無いと思います。
例えば、民間企業では、終身雇用よりもジョブ型雇用に移る企業が増えてきており、キャリアアップのための転職も珍しくありません。
私自身、退官してから、キャリアアップでの転職をしており、現在も大手有名上場企業からスタートアップベンチャーまで、幅広く企業採用担当者から直接スカウトされる機会が多くあります。
自衛隊において、崇高な使命のもと国防に貢献できたことは代えがたいものでした。一方で、取巻く環境によって変化を求められるのは組織に限らず人も同様で、私の場合は退職の決断に至りましたが、自衛隊以外で働くとしても、社会を通して国に貢献することに変わりはありません。
直接的ではなく間接的になっただけで、退職に関して後ろめたく感じる必要は無いと私自身は思っています。
戦うフィールドは変わりますが、日本が安全、安心な社会であるように、そして皆さんがより良いセカンドキャリアを歩めることを願っています。そのために何かお手伝いできることがあれば何でもご相談ください。
ーーありがとうございました。田中さんへメンターとしてコミュニティで直接話を伺えますので、ご希望の方は下記よりお申し込みください。