元自衛官インタビュー

自衛隊から大手外資系企業へのキャリアの作り方

プロフィール
八木 俊行さん
現職:外資大手IT物流企業 マネージャー
自衛隊在職時最終役職:航空自衛隊3等空佐

元自衛官キャリアインタビュー Vol.27

経歴

ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、八木さんの経歴を教えていただけますか。

八木さん:2008年に防衛大学校を卒業し、航空自衛隊へ入隊。航空自衛隊では戦闘機に搭載されるミサイルやレーダーの整備・管理をする業務に携わっており、北海道、青森県、東京都、奈良県で勤務しました。

また、東京では政府高官秘書(副官)としても勤務し、自衛隊の職種の中でもなかなかできない貴重な経験ができました。

その後、奈良県で勤務していた際、自衛隊で培った経験をもとに、別分野でも自分の力を試したいと考え、転職することを決意。

ご縁があって、現在外資系IT物流企業へ転職し、現在はリスク管理部署のマネージャーをしています。

「家族を守りたい」という気持ちで目指した防衛大学校

ーー自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。

八木さん:自衛隊に入隊したのは、もともと「家族を守りたい」という理由からです。近親のとある方の不幸をきっかけに、どのような状況でも自分が家族を守れるような仕事をしたいという考えに至りました。

そこから防衛大学校を目指し、私立大学も国公立大学も受験せず、防衛大学校一本で受験し、合格しました。

ーーかなりの覚悟で防衛大学校受験に臨まれたんですね。

八木さん:そうですね。昔から何か始めることに関して、軸を持つことを意識して、その軸をしっかり持つことによって強い動機付けを持って行動する性格でした。

そのため、防衛大学校受験も、受験を決めた際は高校2年の冬で、当時学年で中間くらいの学力レベルでしたが、受験までの半年間は短期集中で勉強しましたね。

朝4時30分に起きて、通学の自転車に乗りながら英単語を聞いて、学校についてからは、授業が始まるまではもちろん、学校から出て行くように言われるまで残って勉強していました。

ーーすごい集中力で、現役で防衛大学校へ合格されたわけですが、家族を守りたい動機で防衛大学校を目指されたのはなぜでしょうか。

八木さん:父も防衛大学校出身の幹部自衛官だったため、もともと自衛隊という職種を知っていました。

日本において、家族を取り巻く環境で何か起きた際に、自らが動いて家族や国民を守れる立場や仕事に魅力を感じていました。

自衛隊で意識したリーダーシップのスタイル

ーー素晴らしい考えと実現されたことに感服しています。自衛隊在職は、どのような仕事をしており、どういったことを意識されていたのでしょうか。

八木さん:職務は、戦闘機のミサイル管理や戦闘機の整備管理でした。仕事を通じて、多くの部下と接する機会に恵まれ、また数は多くないかもしれませんが、自衛隊で活躍できる能力を持った部下を育成できたのではと感じています。

もちろん僕がすべてを教えられることはありませんでしたが、職場の環境整備に気を使っていました。具体的には、みんなが全力を発揮できる職場であるように指示命令が明確であることを意識していました。

僕も経験することは何度もありましたが、指示があいまいだとか、方針があやふやだと全力で動くことが難しくなりますよね。そのため、上部組織からの命令は、部下へ指示する際、自分がしっかり咀嚼して、指示するように心がけていました。

細かいことは聞かずに「現場で何とかしろ」や「空気を読め」という指示へは、必ずどういう結果を求めているのかを確認していました。上司へははっきりとした回答を求めていたため、嫌がられていたかもしれません。

ただ、そうすることで、たとえ自分が嫌われてもしっかりと組織が動けることが重要だと思っていました。

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「不発弾処理」チームで学んだリーダーシップのとり方

ーー空気を読め文化は日本独特らしいですね。それをあいまいにすると組織は強くなりづらいと思います。また、自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。

八木さん:僕が不発弾処理チームにいたときに関わったチームビルディングは思い出深いです。

不発弾処理チームは、非常に少人数ながら、皆が専門分野を持つ専門集団です。職務の特性上、チームとして一体になっていないと犠牲者が出る可能性があります。

そのため、チーム作りにおいては、指揮官が命令をして従わせるような完全独断ではなく、部下にも積極的に意見を聞いて、いついかなる時に任務が生じても合意できるようチーム作りをしていく必要がありました。

そのため、こんな話題を出すこともありました。

「誰が最初に行く?」

不発弾処理は失敗すれば、死ぬこともありえます。最初に行くことはその可能性もあるわけです。

その時は、「僕が行きますよ」と一番年齢の若い部下が言いました。「自分だと家族もいないし、しょってるものないので」と。

そうすると、中堅の部下が、「僕が行く」と言います。「未来がある若い人より自分が良い」と。

そして、一番ベテランの部下が、「子ども小学生だよね?奥さんもどうするの?だから僕がいく。」と言いました。

こうした問いに対する答えはいつもありません。

なかなか答えは導き出せないけれども、普段から何気ないコミュニケーションの中でもいざという時の方向性や考えを持っておくことは重要です。

このような経験を経て、リーダーは組織の合意形成をするためにファシリテートし、一緒に考えてチームを作り上げていくことが重要だと学びました。

こうして、日頃から現実を見据えたチームビルディングをしていると、上級部隊への予算取りへも真剣です。こういったビジョンがあるので、この装備が欲しいと、チームとしてこうあるべきを、形に落とし込み根拠を持って、提示していました。

予算ありきで、出すように言われているからという部署が多い中で、しっかり考え抜いた予算要求や装備品の手配をできていたことは、実際の任務遂行にも有用だったのではないかと思っています。

有事があった時に準備をするようでは遅く、いざ有事があった際にしっかり任務を達成できうる組織やチームの成り立ち方、作り方を経験できたことはその後のリーダーシップの糧となりました。

ーー大変興味深いエピソードでした。では、転職に関して、なぜ自衛隊から民間企業へ転職されようと思ったのでしょうか。

八木さん:自衛隊という組織において、ある程度の貢献や実績が作れ、新たな分野へ挑戦をしたいと思ったことと、そして、今まで培った経験で、自分自身がどこまで戦えるのかチャレンジしたいとと思ったためです。

一般的に同じ組織に居続け、階級が上がってくると、ある程度自分の思うままに仕事が進むようになります。でも、自分の思うままに仕事が進むようになると、今度は「俺が正しい」と思いこむようになります。

いわゆる「はだかの王様」状態で、どの組織でも同じだと思いますが、部下は上司の指示に従う義務があるため、ある程度上司が好む成果を報告します。それが間違っていたとしても、上司に悪い報告をすればイヤな顔をされ、うまくいく対策を考えろと言われますよね。

そうした状況が続くと、そのトップの人が得てきた知識や経験で物事が判断されていく組織となります。

この状況が継続すると、いざというときに適切な判断を誤る可能性が高くなります。

大きな組織であればあるほど、自己否定のシステムが稼働しない限り、そうした状態になりえますが、今後上にいった際に、「お前ははだかの王様だぞ」と指摘する、されることが当然の文化があるところに行く必要があると感じていました。

その点、企業に関していえば、数字が結果となり、その振り返りと対応はされやすいと思います。

また、とはいえ、自衛隊という組織で成長させてもらい、自分自身の考え方や行動が他分野でも通用するのかもチャレンジしてみたいと考え、家族には反対されましたが、何とか説得し、転職活動をスタートしたわけです。

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8社全滅から始まった転職活動

ーー家族への説得やご自身も就職情報収集、スケジュール、準備等必要だったと思います。どのような準備をされましたか。

八木さん:まず転職先が決まるリミットを決めて活動をしていました。私の場合、異動の可能性がある年だったため、12月までに決まらなければ一度リセットするつもりでいました。

これ以降になると異動のキャンセルで部隊に迷惑が掛かると感じたことや引越しの再調整等めんどうなことが増えると思ったためです。

そこで活動スタートしたのが、4月頃で、まずはすぐに転職エージェントに登録、相談しました。

コロナ禍での転職であったため、風当たりは強く「コロナ禍で世間は倒産が相次いでいるのに、なぜ公務員を辞める必要があるのか」という非難めいた質問を多く受けました。

そうした中でも、意識して準備をしていたのは、「自分の仕事の数値化」です。自衛隊に限らず公務員というのは「数値化」に弱いです。なぜなら、自衛隊の業務は、数字ベースとした仕事は、予算要求くらいのもので、日頃から数字をベースに考えることがありません。

そのため、数字を明確にすることを意識しつつ、まずは、職務経歴書を作成していたのですが、これが非常に苦労しました。

もともと数字を考えて目標設定をして、達成率を提示するといった考えではないため、それでも苦労して作成した職務経歴書で、コツコツ面接などを受けていました。

結果は、8社受けて全滅。エージェントからも見放されました。しかし、別のエージェントから今の会社の求人案内をもらい、受けてみることにしました。

そこでは面接も盛り上がり、すんなり合格。

あとから考えてみると、落ちた企業は、企業研究が足りなかったかと思います。最後の会社は、この会社は落とせないという気概があったことや、8社受けたことにより、元自衛官に期待することのイメージを得て、採用試験に臨めたことが合格できた理由だと思っています。

転職活動には強気のメンタルが必要

ーーただ、全滅するとモチベーションの維持が大変そうです。当時はどのようにメンタルケアされたのでしょうか?

八木さん:もともとポジティブ思考な性格なため、そこまでメンタルへの影響はありませんでした。ただ、たしかに8社落ちてくと、企業に必要とされていないのかなとも思う自分もいました。

そうしたときには、

「こんなに使える人材がいるのに、採用しないなんて残念な企業だな。」

というマインドセットを持っていました。

そうして自分を鼓舞しないと、どうせ次もだめだろうとかマイナスなループに陥ってしまう可能性もありますしね。

ーーなるほど、自分に暗示を掛けるように、自分は優秀な人材だと強く思うことは逆境には必要ですね。現在の会社では、どのようなお仕事をされていますか。ご自身の今後のキャリアをお聞かせください。

八木さん:主にリスク管理をしています。僕が担当するチームでは、物流を担う方々の職場環境を守り,日々発生する損失を防ぐことがミッションになります。

担当エリアが広いため、非常に多忙ですが、規模が大きいため、ちょっとした業務改善が会社のコスト削減や結果としての利益実現に繋がります。

また、今まで見えていなかったコストの見える化や会社の成長とともに成り行きで膨れていたコストの横串を入れて削減を進めるなど、「管理」という視点では自衛隊での培った考え方も活かせてやりがいがあります。

今後のキャリアに関しては、会社で、任せられる仕事レベルを上げて行こうと考えています。そのために、データ分析をして、得られたコストのロスを減らして行くことに注力して、会社へ貢献していきたいと考えています。

数値データから導き出された結果に対して、迅速に動いて対策を取るといった自衛隊ではあまり携わることのなかった、仕事内容に面白みを感じています。

自衛官ならではの任務へのコミットメント力

ーー八木さんが考える、自衛官だった事で活用できる能力、マインド、スキル等ありましたら教えてください。

八木さん:考えてみると3つほどあります。

まず、「任務は達成するもの」という行動原則があるように思います。
村上春樹さんの著書で、

「走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。」

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

と書いています。

元来仕事って進んでやることが辛い側面があるので、やらない理由はたくさん考えられてしまうのだけど、少ないながらやり続ける理由を見つけてそこに仕事の価値を見出していこうというニュアンスと捉えています。

企業でも仕事をやらない理由を作るのは簡単だと思います。取引先や、市場のせいにしてできない、やらない理由を作りだちだと思います。

ただ、自衛隊ではその考えは禁物です。自分たちがやらないと国が守れない可能性があるし、どんな小さいことでもより大きな仕事に影響する可能性があります。

そうした、どんな小さなことでもやる理由を作り出す、見出す、そして実行し続けられることは、自衛隊だったことで培われたものがあると考えます。

2つ目は、「現場を軸足にして仕事をする」ことです。

一般企業では、数字やデータが重要だと話をしておきながらですが、それだけをもって物事を決めると失敗しやすいと思います。

データはもちろん重要で、データから仮説は作りつつ、問題を把握しますが、現場は、データ通りではないことが多いです。

実際経験したことは、A、B、Cという道具が欲しいと依頼を受けて、データでは稼働しているようにみえたのですが、Cという道具は稼働していたものの、A、Bは使われておらず、帳簿上稼働しているように見えていたというケースがありました。

なぜ使っていないのかを聞くと、「組み合わせては、使いづらいから」とか「現場判断」でといったことが理由でした。現場に行かないとそれは分かりませんでした。

自分で確認することを大事にしないといつまでも変わらずに稼働していないムダな状況が発生してしまします。こうした考えは、いまの会社でも役に立ち、できるだけ現場へ足を運んで自分の目で確認することを重視しています。

最後は、「仕事は自分で回す」ことです。

これはよくいう、評論家になるな、自分から手を動かせ、という考え方です。自分で改善事項に気付き、問題だと指摘だけする人がたくさんいます。

「自分で気付いているのなら、少し手を動かせば良いのに」と感じつつ、自分は、言うだけの人になることだけは避けようと意識しています。

ちょっとしたことでも行動に移した人の方が評価されますし、僕が自衛隊で、まだ経験が浅かったときの上司に、強めの指導をしてもらいつつ、教えてもらったことが今に繋がっています。

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再就職、転職する自衛官に向けてのアドバイス

自分がやってきたことから、自分がやりたいことを整理しましょう

ーーこれから転職・再就職をする人に向けてのアドバイスをお願いいたします。

八木さん:まずは、この転職で自分の人生をどうしたいのか。どうありたいのかを考え抜いて欲しいと思います。

考え抜いて、自衛官であり続ける必要が無いのであれば、転職を検討することで良いと思います。

転職をするのであれば、自衛官という崇高な職務を辞めてまで、他の分野でやりたいことやできることという視点で退職しないと、どこかでつまずいてしまうと思います。

僕も転職を決意するまでに1年くらい掛けて、自分で考えたり、人へ聞いたりして今後の自分の人生でやりたいことの整理をしました。

自分一人で考えて悩むよりは、信頼できる人へ相談したり、やめることは感じさせないようにして、すでに転職した先輩にも聞いてみたりしましたね。

必ずしも転職ありきではないため、転職エージェントへ転職の市況感を確認してみることでも相談してみるのはよいと思います。

まずは、自分の人生をどうしたいのかの整理をすることをお勧めします。

ーーありがとうございました。八木さんへメンターとしてコミュニティで直接話を伺えますので、ご希望の方は下記よりお申し込みください。

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