元自衛官インタビュー

自衛隊で得られた学び続けることとやり切る力を生かした転職活動

元自衛官キャリアインタビュー Vol.4

プロフィール

山本 魁人さん
現職:株式会社サルソニード 「ハカシル」マーケティング責任者
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊3曹

経歴

ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、山本さんの経歴を教えていただけますか。

山本さん:現在、広告代理店の株式会社サルソニードに勤めており、クライアントに対し、主にマーケティング支援業務を行っています。以前は陸上自衛官として教育含め、6年間在職していました。

自衛隊へは、公立の高校へ1年間通ったあと、陸上自衛隊の管轄である高等工科学校へ入校し、その後3年間自衛隊に勤務し、株式会社サルソニードへ転職しました。

  • ■経歴
  • 2012.4~2013.3 都立小平南高校 (中退)
  • 2013.4~2016.3 陸上自衛隊高等工科高校
  • 2016.4~2019.3 陸上自衛隊
  • ┗2016.4 陸士長に昇任
  • ┗2017.4 3等陸曹に昇任
  • ┗2017.5 部隊配属 自衛隊退職
  • 2019.4~ 株式会社サルソニード 入社

入隊の背景と在職時の職務内容

ーー自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。

山本さん:私の曽祖父が警察予備隊に入ってから、祖父、父と代々自衛隊に入隊している家系でした。そのため、父親や母親が自衛官という知り合いが多く、小さい頃からいつか入隊するだろうと心のどこかで思っていました。

また、父親はヘリコプターのパイロットで、小学生のころ、父親が航空機に乗っていた姿を見たときから自衛隊に憧れており、そうしたこともあってか、一度は普通の高校に通っていましたが中退し、背中を追いかけるように自衛隊工科学校へ入隊しました。

入隊してからは、ヘリコプターに乗るのを夢見ながら、航空機の整備員として勤務しました。

自衛隊在職中の思い出・エピソード

ーー自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。

山本さん:自衛隊工科学校の時は学級委員長として、教員と共に行事を進めたり、学生がより学習に励みやすいように意見具申したりと勉学以外の活動も行っていました。小泉進次郎さんも来賓として参加された卒業式では学生代表として、号令も掛けました。

部隊配属されてからは、特に先輩に恵まれ、厳しい指導の中でも今につながる仕事への価値観や仕事観ができていったように思います。

例えば、航空機の整備は裏方の仕事のようですが、仮に整備不良だった場合、最悪航空機の事故が発生する可能性があります。時に見えない場所なのに手作業でなくてはできない作業があり、その場合、感覚も鍛えなくてはいけません。

非常に細かい作業です。搭乗員の命を預かっていますし、国民の信頼も掛かっている仕事だと認識しながらひとつひとつの作業に集中し、細かいところにきちんと気遣い、気配りをするように指導されましたし、私が先輩になってからは後輩にそのように指導しました。

” 神は細部に宿る “

学んだのは、一見地味にみえるどのような仕事、作業にも、集中してプロとしてのプライドを持って仕事をすることです。

理想の先輩像も当時の経験から自分なりに解釈することができました。上司部下、先輩後輩の関係は、「上下関係」といった命令と服従という関係性がありますが、それだけでは成り立たないように思います。

それは、信頼です。

信頼関係が成り立つよう日ごろから後輩からの相談には耳を傾けること、後輩を引き上げること、指導するためにはまず自分がその技術を見せること。そのため、技術を磨くことに常日頃から人一倍修練することといった要素が、上下関係の中でも必要です。

当然、部下の立場でも、先輩をバックアップするといった、お互いの信頼関係の上で組織は成り立つことを学びました。

ーー大変良い学びを得られたんですね。ここから再就職に関して、少し踏み込んだ質問をさせていただきます。まず、なぜ自衛隊から民間企業へ再就職されようと思ったのでしょうか。

山本さん:ヘリコプターに乗る夢を叶えるために自衛隊に入ったので、高等工科学校のときに航空学生を志望し、高等工科学校卒業してからも陸曹航空操縦課程(FEC)を受験しましたが、どちらも聴力が基準に満たず不合格でした。

搭乗員以外に自分が納得する職種、業務は無いか考え、自衛官の親や、営内・高等工科学校・職場の先輩方には何度も相談にのってもらいました。
当時具体的に考えていた選択肢です。

  • 通信大学に行ってから卒業して部外幹部を受ける
  • 趣味の写真を活かして写真課程に入校する
  • 英語の課程に入校して将来は海外で勤務する
  • MOS(自衛隊内の免許)を持っていた機体の整備員として過ごす
  • 幹部になって職種転換
  • 航空科のまま新しい航空機の整備員となる

ただ、元々の自衛隊の入隊動機が搭乗員だったので、それ以外の職種で、その後何十年と勤務を続けるイメージが湧きませんでした。

やりたい仕事ができないことからモチベーションの維持が難しく、転職を決めました。その際は、同様に親や先輩方には何度も相談しました。

ーーかなり悩まれたんですね。自衛隊在職時の転職活動は制限されていたかと思いますが、転職するからには再就職時の就職情報収集、スケジュール、準備活動等が必要だったと思います。どのように準備されましたか。

山本さん:退職について考え出したのが、部隊配属されてから3ヶ月ほどたった2017年8月ごろでした。

情報収集の前に、まずはこの先自分が何をするべきかを考えることから始めました 。当時は生涯自衛隊勤務を考えていた為、大学に行くことや民間企業での働き方といったイメージや知識が全く無かったのです。

親族も自衛隊のためなおさらでした。その為、自衛隊を辞めて他のキャリアに進むにしても全く情報が無く、何を知るべきなのかもわからない、ゼロからのスタートでした。

まず、外出できる休日を利用して民間企業に就職している友人、異職業交流会などで知り合った方から話を聞きました

民間企業の業種や職種、民間へ転職をするにあたって必要な準備や、同年代の若手に企業が求めていること、限られた転職活動の中での時間の使い方、転職の際に会いたい人へのアポイントの取り方、会った際に気をつけるべきマナーなどの情報収集をしていました。

高等工科学校と航空学生の試験しか人生を左右するような決断をしていなかった為、どのようなことをすれば良いのか分からず、試行錯誤しながらの地道な活動でした。

ある程度、自分がやりたい事や再就職の方法を情報収集できたなと思えたのが、再就職を考え始めてから2か月後の2017年10月頃です。そのタイミングで、志望している搭乗員になれない場合は、退職を考えていることを部隊や家族に報告しました。

結果的には、2018年6月頃受験した陸曹航空操縦課程(FEC)で、耳の精密検査が不合格となり、自衛隊をやめる決断をしました。耳は日常生活では影響が無い範囲ですが、パイロット適正は審査が大変厳しく、当時は悔しい思いをしました。

気持ちを切り替えて、自衛隊退職後は趣味であるカメラのスキルを活かした仕事をと考え、情報収集活動を行いました。

カメラを仕事にしている方々のオンラインサロンに入り情報収集をしつつ、実際に写真展に展示したり、スタジオを借りてカメラの練習したり、技術指導を受け、撮影技術を磨きました。

その他、土日など本業に影響しない範囲で、マーケティングやセールスライター(チラシ、LP、メルマガなど)の勉強を、セミナーにいくなどして情報収集しました。社会に出た際に自分を売り込むために、集客法を学んだのです。

そしていよいよ自衛隊を退職しましたが、いざ就職活動を始めると、カメラを使った仕事をしたいという思いはあったものの、それではすぐには食べていけません。

その為、プロカメラマンを目指すために専門学校に行く、派遣の仕事をしながらカメラマンの技術を学ぶ、学士を取るために大学生になる、ワーキングホリデーにいくといった選択肢をまず検討しました。

一人では限界があるので、家族へも相談しましたが、結果的には、集客を学んでいる際にご縁があった株式会社サルソニードに転職しました。

株式会社サルソニードでの仕事内容

ーー念入りに準備されて、情報収集もしっかりされていたのですね。株式会社サルソニードでは、どのようなお仕事をされていますか。

山本さん:主な仕事は、マーケティング支援です。WEBサイト作成から、サイト内の記事作成・編集、広告運用し、クライアントの集客を支援する仕事をしています。

ーーいろいろと会社を見られたかと思いますが、今の会社に決めた理由をお聞かせください。

山本さん:どの企業、業種でも製品やサービスを世間一般に認知させるスキルは必要とされて、廃れる分野ではないことと、将来、やりたいことが明確にできた際に、マーケティング分野や集客スキルは必要です。

いつかはメインの仕事としたいカメラ技術と同時に学んだマーケティングや集客法ですが、それらを実践でき、経験が蓄積できる環境が自分の財産になると考え、入社を決めました。

ーー将来にわたってのキャリアの考え方が非常に明確ですね。山本さんが考える、自衛官だった事で活用できる能力、マインド、スキル等ありましたら教えてください。

山本さん:自衛隊で培った経験から落とし込んで考えると、

常に課題となる状況を与えられて適切な行動を取るような訓練、教育環境であったことから、冷静になって状況判断ができる「状況判断能力」

様々な仕事が少ない時間で割り振りされていた為、できる事が限られる中で優先順位をつけて与えられた仕事を達成する「目標達成能力」

礼儀を重んじる文化のため、民間企業でも、必要な社会人としての言葉遣い、アポイントの取り方、電話対応といった「誠実な対応」

部隊勤務の際に自分の役割が何か、求められている仕事は何かを明確にして、実行に移すことをしていたため、組織から求められていることが分からない場合はしっかり確認、リサーチし、自分の役割を認識する「役割を明確に認識できる能力」

私は陸曹だったため、部下がいましたが、

つらい状況でも部下を鼓舞して、与えられた仕事を完遂するための「チームビルディング」や、相手によって分かりやすく、かみ砕いて指示をする説明スキル、率先して陣頭で主体的に動く「リーダーシップ」もあるかと思います。

マインドもさまざまな要素を自衛隊在職時に鍛え上げられました。
例えば、

  • 何事からでも学ぶということ
    日記を書くなど思考を言語化する作業が多く、常にものごとを考えることが習慣化された
  • 継続してやり続けるということ
    日記も毎日継続しましたが、検定などもあるため、目標を立てて、達成のために逆算して訓練や勉強を継続できる
    目標設定を明確にしているため、その達成というモチベーションを維持できる
  • 受け身ではなく、主体的に動ける
    陸曹として、組織が必要なことをその都度考え部下を動かす事や、上司に意見具申し、自らも組織を動かしていくことを繰り返し、主体的に動ける
  • 人目を気にせず辛いことにチャレンジすること
    自衛隊体操や訓練など人前に立つことが多かったので、自然と失敗への恐れ、恥ずかしさがなくなって何事もチャレンジできる
    教育や訓練など自分にとって辛かった経験を何度も乗り越えてきたことから、それ以上に苦しいことはないだろうと奮起させてチャレンジできる

再就職、転職をする自衛官に向けてのアドバイス

ーー非常に詳しく落とし込んでいただきありがとうございます。それでは、これから再就職をする人に向けてのアドバイスをお願いいたします。

こうして、今振り返ると自衛隊退職と再就職に関して、相談させていただいた方々には、大変お世話になりました。私の場合、転職活動はこれまで生きてきた中で、いちばん自分と向き合った期間でした。

ときには、伝えたいことがうまく伝えられずに親と喧嘩したり、上司や先輩に反抗的な態度を取ってしまうこともありました。今は、自衛隊でお世話になった方々と食事に行ったり、家族とも仲良く過ごしています。

まずお伝えしたいのは、自衛隊は退職しましたが、6年間という長い期間、自衛隊で得た経験、同期、出会った方は一生の財産で、とても誇らしく思っています。

しかし、自衛官という職業の形でなくても、日本社会に貢献できることは多々あるはずです。自衛隊を続けることも、民間企業に再就職することも自分の将来のキャリアを考える上では両方正解です。

ただ、まずは自分と向き合って人生を考え、ときには自分を客観視し、上司や親、先輩など自分より長く生きている方の意見をしっかり聞いてください。その上で、より活躍できるキャリアが民間企業であるならば、転職活動をすることも一つの選択だと思います。

自衛隊在職中の再就職活動は心身ともに負担が掛かりますし、得られる情報も非常に限られていますが、わたしの経験が誰かの心の支えに少しでもなれたら嬉しいです。何か相談に乗れることがあればVeterans Channel からいつでも連絡ください。

ありがとうございました。山本さんへメンターとしてコミュニティで直接話を伺えますので、ご希望の方は下記よりお申し込みください。

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