元自衛官インタビュー

自衛隊から感染症対策を追求するため厚生労働省への転籍キャリア

プロフィール

北山 明子さん
現職:国立感染症研究所感染症 危機管理研究センター 演習・訓練企画支援室 室長
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊 阪神病院薬剤課長 3等陸佐(薬剤官)

元自衛官キャリアインタビュー Vol.31

経歴

ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、北山さんの経歴を教えていただけますか。

北山さん:京都薬科大学を卒業し、陸上自衛隊に入隊。福岡県にある陸上自衛隊幹部候補生学校で1年間の教育・訓練を受け、翌年、幹部(3尉)に任官しました。

任官に前後して衛生部隊での隊付訓練を経験。その後、東京の世田谷にある自衛隊中央病院で1年間の薬剤実務研修を受け、陸上自衛隊衛生学校で初級幹部課程を終えた後、晴れて薬剤官として自衛隊中央病院に配属となりました。

気付けば、現場配属へは大学卒業後、すでに3年も経っていました。

在職中は、自衛隊病院で勤務の他、補給処、語学教育や衛生教育を担当する学校機関、自衛隊内外情報を扱う情報機関、そして防衛大学校など、様々な機関で勤務。英語課程や米陸軍への隊付訓練など経験し、日米共同訓練には10回近く参加しました。

この間、防衛大学校の文系修士課程である総合安全保障研究科を修め、さらにマサチューセッツ州立大学でMBAを取得。

今年に入り、感染症対策というテーマを追求したく、自衛隊から厚生労働省管轄の国立感染症研究所感染症危機管理研究センターの演習・訓練企画支援室、室長に転籍しました。

英語が得意な薬剤官として、日米共同訓練など様々な業務を経験

ーー北山さんは、薬剤官だったんですよね。薬剤師を目指した理由を教えてもらえますか?

北山さん:もともと理数系科目が得意かつ看護師免許を持つ母から医療系学部を勧められたことや医学部や薬学部を目指す人が多い高校に入学したことから、自然と私も薬剤師を目指していました。

当時、薬学部は4年制だったので、女性は目指す人が多かったイメージがありますね。

ーー薬学部が4年制だったことは、お得でしたね。いろいろな選択肢があった中、就職を自衛隊にした背景を教えて下さい。

北山さん:就職先の選択肢はたくさんありました。大学時代のゼミの恩師からは製薬会社をいくつか勧められましたし、内定も学生1人に数社出ているのが当たり前でした。

ただ、親が教員だったため、大学時代は漠然と公務員になることを考えていました。

また、中学生から剣道を続けていましたので、剣道も生かせる仕事や続けられる環境がいいなと考えているうちに、警察か自衛隊かの二者択一になっていました(笑)。

どちらか迷っていたときに、大学剣道部のOBが陸上自衛隊の薬剤官として活躍されていて、お話を伺う機会がありました。話を伺って、自分がまったく知らない自衛隊の世界に強いインパクトを受け、行ってみたい!と、すぐに進路方針が決まりました。

ーー大変強いインパクトを受けそうです。

北山さん:辛そうでしたが、単に病院薬剤師で自分のキャリアが終わることなく、他の人がなかなかできないことを経験できそうですし、自分のコンフォート・ゾーンを一気に広げられ、活躍の場も多く持てると感じました。

実際、入隊してからは、様々な業務を経験し、途中で薬剤師というアイデンティティーをすっかり忘れてしまうほど、充実した自衛隊生活を過ごせました。

英語を好きになるにはまず文法の理解です

ーー最初に伺いたいのは、自衛隊キャリアの中で、英語が堪能で、日米共同訓練等多く参加されて、羨ましいですが、英語はなぜ得意なんでしょうか?

北山さん:祖父の影響が大きいですね。祖父は昔から英語が堪能で、家でも身近に英語を聞く環境がありました。例えば、フランク・シナトラやポール・アンカのレコードとか。映画「史上最大の作戦」のマーチは小さい頃のお気に入りで、よく英語で歌っていました。

ただ、祖父から教えてもらった英語はイギリス英語だったんですね。日本の英語教育はアメリカ英語教育ですよね。イギリス英語はアメリカ英語と比べて、つづりや言い回しがやや違っていて、たとえば、

「あなたはペンを持っていますか?」って言うのをアメリカ英語だと、

Do you have a pen?

になると思いますが、祖父から学んだイギリス英語だと、

Have you gotten a pen?

そのまま訳すと、

「あなたはペンを手に入れたことがありますか?(だから今、持っていますか?)」

明治生まれの祖父が大学で勉強していた英文学なので、とても気品高いというのか、遠回しというのか、とにかくHaveを使いたがる言い回しなんですよ。

ーーなるほど。イギリス英語とアメリカ英語は少し違うと聞きますね。

北山さん:ですので、中学に入学して英語学習が始まると、大混乱でした。間違いではないんですけどアメリカ英語に合わせないといけないですからね。祖父もこれは大変だと責任を感じたらしく、NHK基礎英語のテキストを買ってきてくれました(笑)

そうした環境だったため、イギリス英語とアメリカ英語の違いは何だろうと文法から比較しながら勉強できたのは、英語が好きで得意な理由のひとつだと思っています。

今でも時々、文法書を読んでいるんです。自分の英語が間違っていないか確認しています。

どのような立場でも常に大局的に物事をみる重要性

ーー自衛隊在職は、どのような仕事をしており、どういったことを意識されていたのでしょうか。

北山さん:自衛隊では、薬剤官として、病院薬剤師業務、たとえば病院での調剤や製剤、補給処での衛生資材を中心にした補給管理や、衛生部隊の隊員達が訓練や教育を受ける学校機関でイラク派遣隊員たちへの衛生教育などに携わりました。

その他、英語MOS(Militaty Occupational Specialty)を持っていましたので、語学教官として、防衛大学校等の軍事英語の教育に携わったり、情報分野の業務も担当しました。先ほどのアメリカでの日米共同訓練やフランスでの情報交換会議に加えて、ツースタージェネラル(将補)の副官として、カタール王国への出張も経験しました。

こうして思い返すだけでも、多くの先輩方、同期生達、後輩達に恵まれ、充実した自衛隊生活を過ごせました。

とくに自分にとって、とても勉強になったのは、防衛大学校において准教授として、将来の自衛隊を担う学生たちの教育に関われたことです。

若い学生たちと一緒に防衛学を勉強することは、自分にとっても日本の安全保障環境について、基礎を一から勉強し直すいい機会でした。

仕事で意識していたことでいうと、どの業務においても、自分の現場の業務だけでなく、その上のレベル、つまり上司の視点を常に意識していました。

これはもちろん「忖度」という意味では当然なく、もっと言うと、上司の視点のさらに上、大げさではなく常に国家戦略から自分の立ち位置を見ていたように思います。

「世界の中で日本は今、どのような状況にあるか?」といった大戦略を基にして、次に、軍事であれば軍事戦略、そして作戦、最後は現場の戦術というように、順にレベルを落としていけば、自分の立ち位置がクリアになり、今の仕事の意義や意味が明らかになります。

大戦略は難しいと感じる人がいるかもしれませんが、普段から新聞に目を通すだけで、日本の安全保障環境は把握できますね。

米軍幹部の7~8人に1人はMBAホルダーという現実

ーー大局的な知見ということですね。そうしたことが、自衛隊在職中にMBA(経営学修士)への挑戦動機になったのでしょうか。

北山さん:MBAを目指したのは、神奈川県座間基地に駐屯している在日米陸軍に、隊付訓練という訓練で3ヶ月間、“べったり張り付いた”ことがきっかけです。

米陸軍の将校や兵隊達と一緒に教育、訓練そして演習を実施したのです。本当にベタ付きなんですよ。

たとえば、朝6時からフル装備で2時間近く基地の中を歩いたり走ったりの行進訓練や、基地内の医療施設において米陸軍の薬剤官と共に患者対応を実施するなどです。また、米軍上官と一緒に、沖縄にある米軍基地を全て訪問したこともあります。

その時に、ハワイに本部がある太平洋陸軍が太平洋地域における米陸軍の衛生隊員たちに対して実施した、ヘルスプロモーションプログラムという教育に参加する機会がありました。

「兵士に禁煙させるにはどうすればよいか?」といったケーススタディを実施して、アイデアやベストプラクティスを抽出していくのですが、その進行要領がMBAで学ぶマーケティングの手法を応用したもので、自衛隊にはないものでした。

この他にも、米軍は日米共同訓練における演習シナリオの展開をMBAのPEST分析に類似するPMESII-PTを使用して実施していました。このような米軍のMBAを取り入れたシステムに触れることで、もっとMBAの内容を理解したいと思うようになりました。

実に、米軍の将校の7〜8人に一人はMBAホルダーです。

そうした環境に身を置いたことで、MBA取得に関心が高まったことがきっかけで、防衛大学校の修士課程でお世話になりました鎌田伸一教授(『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』の共著のお一人)からも、「時間があるときに体系的に勉強しておいたほうがいい。」と勧めていただき、MBAを取得するに至りました。

      MBAのアメリカ現地研修受講時のみんなと

ダイヤモンド・プリンセス号の新型コロナウイルス対応経験から感染症対策専門の組織へ

ーー軍隊でもMBAホルダーがそんなにいるんですか。企業用語も軍隊用語から来ているということもあり、アメリカはその相互性が顕著なんでしょうね。また、自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。

北山さん:エピソードは星の数ほどありますし、何なら毎日がかけがえの無い経験をさせてもらいました。その中でとくに思い出深いものは、やはり最初の陸上自衛隊幹部候補生学校での1年間でしょうか。

陸上自衛隊の幹部であれば、原則、誰でも切り抜けなければならない関門です。

幹部候補生学校の広大な訓練場の青々として目に沁みた芝生、遠泳で足を刺したクラゲのふにゃふにゃ感と痛み、武装障害走で肩に食い込んだ小銃の重さと潤滑油の臭い、食欲がなくても叱られながら口に入れた野営でのサバ缶の味。

卒業前の総合訓練で初めて自分でコントロールできなかった酷い寒さ、軍事史教育で最後に訪れた沖縄のハイビスカスと桜の美しさ・・・ふとした時に五感がそれらを思い出し、あの時の自分に引き戻されることがあります。

いい意味でのトラウマ。初心に帰るひとときです。

職業として自衛隊を選んで、一番悩んだ1年間でもありましたが、一緒に過ごした同期生やお世話になった教官方との時間は今でも宝物です。

また、転籍になるきっかけとなった自衛隊での最後の任務も強烈でした。

内容を詳しくは話せないですが、2020年2月、豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号船内で発生したCOVID-19患者対応のための自衛隊中央病院への派遣です。

ウイルスの正体がまだ明らかになっていない中での外国人患者の対応、各国大使館との調整、患者家族への連絡は複雑な業務となりました。

しかし、全国から派遣され集まった看護官、医官、通訳支援の自衛官たちは、初対面でも次の瞬間、阿吽の呼吸というか、オーケストラの演奏のように、とにかくチームとして完ぺきに組織行動ができ、円滑に業務ができていました。

自衛官たちのこの統制の取れた、無理無駄のない活動は、当時、自衛官であった私でも感動しました。本当に素晴らしかったです!訓練の賜物ですね。

この自衛隊のダイヤモンド・プリンセス号での対応や関連施設での活動について、部外関係者から高い評価を受けたことは大変嬉しかったです。

とくに、この一連の自衛隊の活動の中で、自衛官が一人も感染していなかったことを、今でも誇りに思っています。

ーーありがとうございます。そうした経験により、自衛隊から厚生労働省へ転籍されようと思ったのでしょうか。

北山さん:年をとることで視力が落ち、射撃がうまく当たらなくなってきたことと、3000m走を15分以内で走れなくなってきたので自衛官としてはもうダメだと、転職を考えました。

ーー根っからの自衛官ですね。

北山さん:というのは冗談です。

自衛官時代に国立感染症研究所で開催されたFETPの短期コースに参加しました。

このFETPの短期コースで学んだ内容(公衆衛生及び感染症の封じ込め)は私の関心分野のど真ん中でした。よって、研修後も自分なりに勉強を続けていました。その後、防衛大学校の修士課程に入りましたが、その修士論文も感染症に関することでした。

また、ダイアモンド・プリンセス号の患者対応への派遣で感染症に関する業務に引き続き関わっていきたいと強く望んでおり、厚生労働省の国立感染症研究所でもオリンピック・パラリンピック開催もあり、コロナウイルスのサーベイランスが強化されるなど、感染症対策業務も国家・国民のためであると考え、転籍に迷いはありませんでした。

国家公務員から国家公務員は「転籍」と言う道も

ーー就職情報収集、スケジュール、準備等必要だったと思います。どのような準備をされましたか。

北山さん:転職と言っても、私の場合、防衛省から厚労省への転籍という形です。よって、防衛省・厚労省の双方の関係部署の調整にお任せし、双方の担当者の方々には細かい調整をしていただきました

したがって私自身の準備は、国立感染症研究所に提出しなければならない書類の準備がメインでした。自分の経歴(今まで実施してきた職務内容)に加えて、主な研究内容の概要(修士論文の内容)をペーパーにまとめました。

この時、経歴をさかのぼって確認することで、自分の自衛隊での職務内容を振り返られ、様々な反省点を見つけることができました。そしてこれらが次の職場での課題にもなり、大変有益でした。

私は公衆衛生や感染症の分野に関して、思い起こせば20年近く前から、いえ、大学時代から細く長く勉強を続けていました。

ですので、もうその頃から自衛隊の次のステップを見据えて準備していた自分がいたと言えるかもしれません。

転職(転籍)のチャンスはいつ来るかわかりません。実際、私はそのチャンスが来るとも思っていませんでした。たまたま自分の好きなことを続けていた、それが結果として準備になっていたということですね。

ーーこつこつとセカンドキャリアを前提で準備することの重要性が伺えます。現職では、どのようなお仕事をされていますか。ご自身の今後のキャリアをお聞かせください。

北山さん:東京オリンピック・パラリンピック期間中の約2ヶ月は、国立感染症研究所内にEOC(Emergnecy Operation Center)が立ち上がり、所内の各部署から集められたスタッフが協同で、国内及び海外から入国する関係者たちの健康監視、COVID-19感染者の追跡及びクラスターの追跡・封じ込めに関わる広範な業務にあたりました。

私はロジ担当としてこれらの業務の一端を担いました。

現在は、感染症が発生した際にどのような行動・業務を実施すべきか、といった公衆衛生業務に携わる人たちに向けた訓練を考える部署に在籍しています。自衛隊でも様々な訓練や演習を経験していますので、お役に立てるよう頑張りたいと思っています。

ーーなるほど、今後も感染症との戦いはやりがいのある仕事ですね。北山さんが考える、自衛官だった事で活用できる能力、マインド、スキル等ありましたら教えてください。

北山さん:「業務に雑用はない。」これは、私の幹部候補生時代のある教官からの言葉です。その教官はさらに、「どんないやな訓練や演習でも、しっかり準備することで楽しみに思えてくる。」と教えてくれました。

したがって、私は全ての業務に『〇〇作戦』と作戦名を付けるようにしています。床拭きも『床拭きクリーン作戦』というふうに(笑) 

こうすると、作戦には自ずと、目的、時期、場所、組織と武器が必要になり、そしてそれらが明らかになります。目的を示し、組織と武器を準備すれば、作戦は半分以上終わったようなもの。自衛隊時代、部下と業務に当たるときには必ずいつも、

「どんな作戦でいくか?」

と相談し合っていました。部下たちも「作戦」と聞くと、目がキラキラして力が入っていましたね、自衛官の特性でしょうか(笑) 今でもこの特性、自分で自分に使っています。

自分が好きなことを続けて、強みを伸ばしていく

ーー「〇〇作戦」いいですね!ぼくも使ってみたいです。最後にこれから転職・再就職をする人に向けてのアドバイスをお願いいたします。

北山さん:先ほども述べましたが、私の興味のある分野は大学時代から変わりませんでした。公衆衛生学、感染症、免疫学などです。早い時期から決まっていたと思います。

それらを自分が所属する組織で仕事にできるかどうかは、その人や組織によることですのでわかりませんが、でも興味のあることは知らないうちに続けていけると思います。

自分がそうでしたので、そう信じています。

自分の好きなことや興味のあることは自分の強みになりますので、細く長く続けて育ててください。それが転職や再就職だけでなく、人生の重要な時に梃(てこ)のように効いて、目指す所へ貴方を持ち上げてくれると思います。


ーーありがとうございました。北山さんへメンターとしてコミュニティで直接話を伺えますので、ご希望の方は下記よりお申し込みください。

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