元自衛官インタビュー

自衛隊で培ったリーダーシップを更に社会で活かすために

プロフィール
西田 千尋さん
現職:縄文アソシエイツ株式会社 コンサルタント、Woman In Public Section代表
自衛隊在職時最終役職:航空自衛隊2等空佐

元自衛官キャリアインタビュー Vol.24

経歴

ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、西田さんの経歴を教えていただけますか。

西田さん:防衛大学校人文社会学部42期、女子3期の卒業です。航空自衛隊に入隊し、厚生幹部として、隊員・家族の福利厚生に係る制度設計や航空自衛隊初の託児施設の開設、そして総務・人事業務に従事しました。

また、入間基地赴任時には、業務隊長として、80名の隊員のマネジメント経験もあります。その他、在職中は職務上、外部の人たちと仕事する機会も多く、2015年に「ハンサムウーマン」という公安系に特化した女性キャリアの底上げを目的とする組織を立ち上げ、2017年には、その公務員バージョンである「霞ヶ関女子」を立ち上げ、それら2つの組織を「Woman In Public Section」(以下、Wips)に統合し、その代表もしています。

累計イベント参加者数約1,600人の実績を有してきましたが、その後官公庁の横の連携や、知の共有ができていないことへの疑問、その課題解決から「官民連携ラボ」という越境の場を2018年に立ち上げて、その組織運営にも関わっていました。

そうした活動を踏まえ、外側から自衛隊や公務員のキャリア支援をしていきたいという強い思いから、自分ができうる自衛隊の職務について、任務完遂の気持ちとともに、2020年に2等空佐で退官。

良き意図のリーダーと理念ある組織との橋渡しとなるべく、縄文アソシエイツ株式会社というエグゼクティブサーチファームで、いわゆるヘッドハンティングの企業へ転職し、企業の成長と個人のキャリアアップのお手伝いをしています。

画像1

防衛大学校女子学生3期生で学んだ組織の面白さ

ーー組織内外で活躍されていますね。そんな西田さんが防衛大学校へ入学された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。

西田さん:私、高知県出身なのですが、祖父が地方創生へ積極的に関わっている人だったんです。そのため大学受験の際には、将来的には人のためになるような仕事をしていきたいなと漠然と考えていました。そのため、防衛大学校は国防の観点から人の役に立てるため、推薦受験し、早々に合格が決まりました。

防衛大学校の女子の推薦枠は、すごい倍率が高く、合格したことは当時18歳の私にとってはとっても嬉しくて。ただ合格が決まったものの、もう一つ私立大学を受験し、そこも合格が決まっておりどちらがいいのか決め悩んでいました。

大学の性格は大きく変わるものの、両方とも興味関心がある大学、学科だったため、悩んだ末、手相があたると有名な同級生がおり、相談に行きました。結果、「先に決まった大学に行った方が良い」との一言。先に決まっていたのが防衛大学校でしたので、その後押しもあり行こうと思いました。

ーーなんと、最終的な決定は占いだったんですね。

西田さん:もちろん、それだけでもないですよ。当時、防衛大学校の女子受け入れは、私の期で3期生でした。私の期から1期生までで、防衛大学校始まって以来の初の女子学生がいる環境だったんですね。そうした状況で新たに作られる文化への魅力も感じていました。

ただ、大学校も試行錯誤で女子学生を受け入れているところもあり、もともとの完全なる男性文化に慣れていくのは思った以上に胆力が必要でした。

体力的なものもありますが、体力は、高校時代は強豪校でテニスをかなりやっていて自信はありました。それよりも自分の意図しない環境やギャップへ自分を溶け込ませることが大変でしたね。

たとえば、防衛大学校は、4つ大隊が編成されているんです。大隊とは、クラスみたいなものです。当時、2~4大隊は女子学生が編入されていましたが、私が入学した時から2年生までは、1大隊へは女子がいませんでした。

そうすると、1大隊の男子学生が後輩にもかかわらず、校内で会っても敬礼をしないんです。

ーー校内で上級者へ敬礼しないと、欠礼になりますよね。

西田さん:後から聞くと、1大隊の先輩が後輩へ女子へは敬礼しないようにと指導していたとのこと。そんなところでも、女性がこの組織に馴染むことの難しさや、抵抗みたいなもを感じていました

その後、1大隊に女子が入ったことによって全員が敬礼するようになって。どういった組織でも始まりは抵抗勢力があって、ちょっとしたきっかけや文化の融合で円滑な組織へと改善していくんだな、組織っておもしろいもんだと逆に経験になりました。

最初は難しくても、女性活躍に使命感を持って活動していくことは自分の使命とも感じましたね。

自衛隊在職中に社会との接点作りや交流をしてWips創設

ーー大変だったと思いますが、捉え方が非常にポジティブです。

西田さん:そうですね。もともとがポジティブ思考だと思います。また、航空自衛隊へ配属されてからの職務内容は、厚生幹部でした。厚生幹部は、隊員・家族の福利厚生に係る制度設計が主の業務です。たとえば、給養といって隊員の食事を作る部隊があります。

そこでは、極めてシンプル。美味しいものを作った、気の利いた支援をする。そうすると部隊や隊員からけ「ありがとう」と言ってもらえる。やったことへのフィードバックが得られる良い職種だと思います。

初級幹部の頃は限られていましたが、佐官になってからは、業務上で外部との交流が増えてきて、官民交流だけでなく、官官交流の少なさも課題感を持っていました。

話をするとそのように感じている人たちも多くおり、同じ課題感をもった人たちで集まろうということで始まったのが、「Wips」です。Wipsとは、Woman In Public Service 公務員女子の会という意味です。最初は活動に価値があるのか不安でしたが、継続をしていくことで賛同する人が増えてきました。

意外だったのが、公務員だけでなく、公務員を応援する外の人たちからのサポートも多く、「Wipsだったら講演してもいいよ」と良いレスポンスが多かったです。そうした支援や熱量でこの活動を継続しています。

ーー業務以外にそうした活動をすることは大変じゃないですか?

西田さん:たしかに防衛省の業務も企画や調整業務等かなり仕事は多かったです。ただ、自分の生き方として、組織外のメンバーと接点を持ったり、作ったりすることは、発見と学びに繋がり自分にとって大変プラスでした。そのため、Wipsの活動は、良いバランスになって、学ぶことが大変多かったです

ですので、Wipsの活動は、楽しみと人との繋がりが大好きな私にとって大変だと感じたことはありませんでした。

自衛隊在職中の思い出と経験

ーーなるほど、外の世界との繋がりは重要ですね。自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。

西田さん:思い出でいうと、3つほどあります。

一つ目は、初級幹部の時に、八雲分屯基地へ班長という、企業で言う係長の立場で赴任をしました。評判の良い部隊で、安心して赴任するようにと言われました。赴任から数か月後、長期勤務者の部下がおり、異動させた後、部下が在任中起こしていた服務事故が見つかりました。

赴任したばかりの若い幹部の私には状況理解や把握することが難しく、上司、上級司令部への説明、現場では事後処理対応が求められました。

とくに大変だったのが、服務事故を起こした部下は、周りからの信頼も非常に厚く、「まさかあの人が」といった現場のショックが大きく、そのフォローが必要でした。

上級司令部への報告、そして現場の原状回復を、自分が責任を持ってやりきらないといけないことから、板挟み状態になり、そこで初めて自分の職責の重さを痛感しました。

陣頭指揮をとりながら、自分が方向性を示しつつ、ベテランの部下を動かし、業務負担を軽減、今後同じような服務事故を起こさないような組織再設計と同時並行的に業務を進めていく中で、幹部自衛官としての職責の重さを感じた思い出です。

二つ目は、山口県の防府南基地での思い出です。部下が40人ほどいる小隊長として赴任しました。そこは、技官、事務官、自衛官といった採用区分や基地の勤務歴の違い等、文化が異なるメンバーの集まる職場でした。

とくに技官さんは職人肌の人たちが多く、まとめるためにも部下との信頼関係作りを意識しました。最初は、お手並み拝見とみられていたと思います。

試されていると感じながらも、必ず守って行動していましたことが2つありました。一つ目は、どんなに忙しくても、必ず1日1回は現場に入り、全ての隊員と会話をすること

そこでは、自ら調理もするし、配食にも関わることも意識して参加していました。そうすることによって、毎日みんなとも話せ、食事に来る隊員の反応も分かるんですね。

そして、二つ目は、毎朝必ず朝礼をやりました。朝礼を設けることで朝部下の顔や反応を見てコンディションが分かるんですよね。

そのため、調子が悪そうとか、何か良いことがあったとかもなんとなく分かるため、その日の指示でも気を使えました。

そして、この頃から越境ということも意識していました。いわゆる、部内だけのコミュニケーションではなく、部外とコミュニケーションをとり、お互いの情報やナレッジ交換をすることを推奨していました。いろいろな基地への研修要望も積極的に受け付けて、可能な限り対応をしていました。

部下からは好評で、組織の活性化にも繋がりました。当時の部下から今までの上司の中でも、もっとも組織を理解し、良い風土を作ることに尽力してもらったと言ってもらえたのは嬉しかったですね。

小隊長として、ルールを明示して、組織を作り、結果を出せた経験はその後の組織運営への自信となりました。

最後は、航空自衛隊初の託児施設に携われたことです。完全にゼロから作り上げていきました。どういった保育園を作るかのコンセプトや、色々な本を読んだり、関係各所への許認可等リサーチそして仕組みからスタートしましたのでかなり大変でした。

なんとか開園までできたのは、多くの方々の支えのおかげです。一番の支えは、当時の上司と、一級建築士を持っていた同期と、入間基地の皆さんでした。

当時の上司は、本当に部下の気持ちになって導いてくれる素晴らしい上司で、同期は一緒に最近の保育園の建物や、各種法律等親身になって手伝ってくれました。

自衛隊で勤務しているお父さんお母さん自衛官のための託児所ですが、組織によって、所属している人の考えや文化が違うため、適した託児所の創設のために関係者から直接ヒアリングをしたり、事業会社の検索や条件交渉を一つひとつの備品から関係各所作り上げていくんです。

とくに最初は基地内の託児所という特性から、「部隊に馴染まないのでは。」といった意見も多く、そうした反対意見に対して、働く側としての見解やリサーチを根拠に交渉して、説得することも多くありました。

基地の中心部の場所を改修するしかなかったため、かなり細かいことを条件にNOを出してこられたりもしましたが、何度も部隊に通い理解していただきました。

結果的には、今は定員いっぱいになっているほど多くの子ども達が通い、転属してきた隊員が、保育園をどこにすればいいかとの不安の解消に繋がり、今後他の基地も展開していく方針と聞いています。

男女共同参画に関連した施策や職業の重要性そして議論は、比較的主張が難しい分野です。それはどの程度パフォーマンスが出るのかや費用対効果を明確に打ち出すことがし辛いためです。

民間企業であれば、世の中の風潮や多様性の観点から、わざわざ説明をしていく必要はそこまでないのだと思いますが、自衛隊ではそこの理解をしてもらうことが大変でした。

ただ、やり遂げられたことで、結果、男女共同参画施策の一つとして保育の確保を自衛隊に確立できたことは、組織にとっても良かったことであり、私も組織に貢献できた達成感があります。

画像3

自衛官のセカンドキャリアに課題を感じ、企業との橋渡しを目指す

ーー自衛隊へ貢献し、自分自身のキャリアの転換期になったのだと思いますが、なぜ自衛隊から民間企業へ転職されようと思ったのでしょうか。

西田さん:自衛隊は組織の特性上、比較的早く定年を迎えることになります。2020年から定年延長になったとはいえ、自衛官の多くは50歳代半ばで定年を迎えて、自衛隊以外の組織で勤務することになります。

その中で、先輩たちの多くは、セカンドキャリアに夢と希望よりも、もしかしたら諦めや不安を抱く方が多いように見受けられます。

それは、再就職を自分ごとと受け取るマインドが薄いこと、人生のかじ取りを自立して取り組む機会が少ないため、半ば受け身的にセカンドキャリアを歩むケースがあります。

そうした状況で、自衛官の再就職をあきらめてほしくない気持ちがありました。自衛隊という誇らしい職業にて、築き上げたキャリアが民間に出る時に分断されることがあるのはもったいないなと。

自分の人生です。であるならば、

自分自身が、今まで歩んできた道へ誇りを持つとともに、「どうありたいか」、「社会にどう貢献できるか」に焦点をあて

より良いセカンドキャリアを歩んで欲しい、そうした気持ちを強く持っています。

今後人生100年時代と言われている中で、50歳代半ばからは、もう一回フルにキャリアを歩める時間でもあります。

私も考えた結果、外部の人たちと接触をする機会を多く持っていたこともあり、そこで、官と民の通訳というポジションが必要かつ貢献したいと思い、転職を決意しました。

ーー自衛官のセカンドキャリアのあり方に課題を感じていたわけですね。

西田さん:色々な視点、側面から変化は作りにいかなくては状況は変わらないと思っています。自分なりに、自衛隊への貢献はある程度達成できたと思っています。

次なる目標として、人のキャリアに寄り添い、人のキャリアに関わる仕事をしていきたいと思い、目指したのが人材業界です。

自衛隊で感じたことは、よい意図のリーダーがいる部隊とそうでない部隊は、まったく違います。これは民間の企業でも同じであり、よい意図を持った意思決定者がいるかどうかで企業の命運は変わります。

良き意図を持ったリーダーと、理念ある企業の架橋になりたいと思っています。

ーー新たな挑戦という気概を強く感じます。転職時の就職情報収集、スケジュール、準備等必要だったと思います。どのような準備をされましたか。

西田さん:そうですね、準備は活動開始から1年くらいかけていました。人はどのようにしたらイキイキワクワクと過ごすことができるのだろうか、ということに大変興味があり人材育成もしくは組織開発の仕事に就きたいと考えていました。

その延長でマインドフルネスカウンセラーやキャリアコンサルタントの資格を取得。当然、大好きな航空自衛隊を離れることは大変迷いましたし、考え始めた時から日々葛藤でした。

活動に関しては、職務経歴書にかなり注力し、何度も書き直しては人にみてもらいブラッシュアップをしました。

自分は次のキャリアでどのようにありたいか、生きたいかをずっと問いながら修正して、自分が納得するまでとことん書き直しました。

職務経歴書を書いたり、修正をするとその中でもいろいろな気づきを得られます。また、相談者からのフィードバックで、自分が無かった考えも教えてもらったりと職務経歴書を基準に転職活動を整理していったように思うほど、書類の準備は力を入れました。

転職先は、チームの活性化、組織開発、人材活性といった人を生かせる仕事を追求したいと考えており、当然自衛隊時の待遇とのバランスも考えました。研修講師も向いていると思っていましたが、安定的に給料を稼げることも念頭において今の会社を選びました。

リーダーを育成し、活躍できる企業との出会いを作ることの必要性

ーー人材系のお仕事とは、どのようなお仕事をしているんですか。

西田さん:ヘッドハンティングをしています。人材紹介業というよりも、企業や組織を活性化させる人物像を可視化して、そこに合う人のサーチをしつつ、その人へ打診をすることが一連の流れです。お見合いに似ているかもしれません。

企業や人により添い、人と企業が成長するサポートをさせてもらうことを念頭にして、しっかりと時間をかけ、また、候補者とは、長期的にその人のキャリア実現につながるかを念頭にし、キャリア形成のお手伝いをしています。

そのため、候補者のキャリアの壁打ちをさせてもらうことも多く、どういった人が企業や組織に合うのかを理解できますし、企業や組織のフェーズによってどういった人が求められるのかを、理論ではなく、リアルな状況を知れるため、大変勉強になっています。

また、リーダー育成も会社として取り上げており、そこにも関与しています。

真のリーダーは、「富、力、名」ではなく「人格と品格」を有し、常に集団の「前」に立つことが大切だと思っています。

『指揮官は士気の中枢であり、部隊団結の核心である。』

良き意図を持つリーダー育成をし、企業との出会いを作れることはより良い日本の未来を作ることへ繋がっていくと考えていますので、少しでもこの仕事により日本へ貢献出来たら嬉しいですね。

ーーリーダーシップですね。まさしく西田さんの専門分野ですね。では、西田さんが考える、自衛官だった事で活用できる能力、マインド、スキル等ありましたら教えてください。

西田さん:まずは、リーダーシップが挙げられます。とくに幹部自衛官は日頃から組織全体を動かすことが求められます。

部下は人ですから、単に指示を出したとしても動きません。いわゆる統率、統御といった、指示ではなく、部下の状態を日頃から把握して、コミュニケーションをしっかり取れている状態を作ることが必要です。

そうした日頃から密接に信頼関係を構築することが、極限の状態や、咄嗟の時に陣頭指揮を取っても、部下との信頼に基づいた行動につながります。

また、企画力も高いと考えています。いわゆる仕組みを作ることですが、法令やリサーチを整理したり、関係各所との調整も含めて行えます。方針の骨子を作り、上司が意思決定ができるところまで準備することもよく行っています。

そうしたリーダーシップや企画力は今民間企業に出てみても十分求められますし、活用できる能力だと思います。

再就職、転職する自衛官に向けてのアドバイス

外と積極的に交流を持ちましょう!

ーーリーダーシップと企画力ですね。これから転職、再就職をする人に向けてのアドバイスをお願いいたします。

西田さん:2つあります。まず一つ目は、積極的に外の人と繋がった方が良いです。意識的にできるだけ、多くの人たちと情報交換をすることで、自分になかった思考や視点を得られます。

イノベーションは、自分一人では起こせないと思っています。誰かと誰か、もしくは出会ったもの、触れたものからケミストリーとなるのではないでしょうか。

自衛隊内だと、違った部隊や部署といいつつ、結果同じ思考回路になってしまっていることが往々にしてあります。なので、まず一歩引いて見てみる為にも積極的に外部と意見交換や接点を持った方が良いと思います

会社でも、「有能な人は、染まっているようで染まっていない人だ」とよくみんなが言います。たとえば、メディア関係の人だと、見た目や話し方がそれっぽい。でもそのような分かりやすい業種の人でも、転職によりキャリアアップをしていく人は、どこか業界との距離を上手に保っていて染まっていない感じがするというものです。

あまり新しい人と知り合うのが得意でない人であれば、最近はオンラインのセミナーもあるので、聞くだけのインプットだけでもまずはよいと思います。

そうした緩い関係やコミュニティを作って、身を置くことをお勧めしたいです。

二つ目は、すぐに再就職、転職するでないにしても、職務経歴書をまず書いてみることです。自分の今までやってきたことの棚卸しを人に理解てもらうように書くことや、これから自分が何をしたいのかといったことを整理するのって思った以上に難しいです。

正直、最初はほぼ書けないと思いますが、いずれは再就職する日がきますので、まずしっかり書いてみることをお勧めします。充実したセカンドキャリアを歩むためにも、目に見える第一歩は自分のキャリアの棚卸しのために職務経歴書を書いてみましょう!

その時の、秘訣は「コト」軸で書くことです。会社にとっての嬉しさにつながるご自身の「コト」は何があるか。そのような観点で書いてみるといいと思います。

大好きな自衛隊のお役に立ちたいと思っておりますので、キャリア相談、キャリアのへの伴走は、いつでもしますのでお気軽にお声がけください。

大切なあなたの人生が実り多き、ワクワクするものとなりますように願っております。

画像4

ありがとうございました。西田さんへメンターとしてコミュニティで直接話を伺えますので、ご希望の方は下記よりお申し込みください。

相談希望はこちらから

元女性幹部自衛官が伝えるキャリア転換で大事にすべきもの 元自衛官キャリアインタビュー Vol.22 プロフィール新井 香奈さん現職:新井香奈キャリアデザイン事務所 代表NPO法人神奈川...