元自衛官キャリアインタビュー Vol.22
プロフィール
新井 香奈さん
現職:新井香奈キャリアデザイン事務所 代表
NPO法人神奈川子ども支援センターつなっぐ 事務局長
自衛隊在職時最終役職:海上自衛隊1等海尉
経歴
ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、新井さんの経歴を教えていただけますか。
新井さん:防衛大学校を卒業後、海上自衛隊に入隊。艦艇装備幹部として横須賀造修補給所に勤務しました。造修補給所は、主に艦船のメンテナンスや補給を主に担当しますが、私は部隊運用の企画調整や訓練業務立案をしていました。そして装備課程に進み、艦艇開発隊へ異動。そこで、運用武器のための実用試験で主担当業務や武器の制式化を担当しています。
その後、市ヶ谷の情報本部に異動し、結婚等環境の変化もあり、最終的に1尉で退職しました。退職後は、食品系ベンチャーのオイシックス社や人材系ベンチャーのジェイブレイン社等で勤務し、出産を機に、子育ての地域内で相互支援を進める企業の手伝いと2019年にキャリアコンサルタント事業を立ち上げ、その代表に就任しています。
同時にNPO法人神奈川県子ども支援センターの立ち上げに参画し、現在は事務局長とキャリアコンサルタントのパラレルキャリアで活動をしています。
ーーまず大変興味があるのですが、「NPO法人神奈川子ども支援センターつなっぐ」はどのような活動されている組織なのでしょうか。
新井さん:虐待、性虐待、いじめ等を受けた子ども等被害者に対して、関係機関と連携しながら子どもの権利を擁護し被害の回復に寄与することを目的としたNPOです。
そうした身体的、精神的虐待を受けた被害者は、現在、傷ついた身体と心のまま、自らさまざまな場所に赴いて自分で行動を起こすことを要求されます。
諸外国では、性被害への対応として、一つの場所に行けば、すべてのサービスを受けられるような、幅広い機関が連携を取るワンストップのセンターが作られており、日本においても同様に、性被害を受けた子どものために組織運営しています。
被害児が、中立的な医療機関で、子どもに負担の少ない司法面接や系統的全身診察により、権利擁護のための手続きやサポート身体的、精神的なケアもワンストップで対応が受けられる、子どもを中心にした子どもに優しいセンター運営をモットーにしています。
ジェンダー課題解決から防衛大学校を目指した学生時代
ーー被害を受けた子供にとって大変必要な取り組みですね。そうしたパラレルに精力的に活躍している新井さんですが、自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。
新井さん:自衛隊は防衛大学校から入っています。防衛大学校女子の4期生なんですよね。中学からジェンダー問題に関心を持っており、私たちの時代、今ではあまり考えられないような男女間の待遇の差がありました。
たとえば、学級委員長は男性で副は女性のような決まりがあって、なんで女性が長になれないのかとか何かと男性優位な社会構造に疑問があり、そこに横串をいれたい気持ちをずっと持っていたんです。
女性が社会で活躍するにはさまざまなハードルがある時代だったのですが、そうした中、対等な立場で仕事ができる場所として自衛隊に関心を持ちました。
もともと母が教師をしていたため、そこも考えていたのですが、ジェンダー格差是正をしたい気持ちや正義感から、地元の地方協力本部へ訪問したところ、陸海空全ての研修を受けさせてもらったんです。
完全なる男社会だし、まだまだ女性活躍がこれからの組織だったため、防衛大学校へ飛び込みました。その後、在学中もいろいろな迷いがあったものの、自衛隊に入隊しました。
入隊時は、防衛大学校在学中にした膝の怪我が原因で、同期と一緒に遠洋練習航海には行けず、部隊に残りました。
ただ、結果的には、1年後、後輩と一緒に遠洋練習航海に行けたので、むしろ知り合いや繋がりが広がり、結果的には良かったなと思っています。
人との繋がりが多くあればあるほど、繋がっていると互いの人生が豊かになると思いますし、社会に出てからもいろいろとネットワークが広いことが助けになっています。
また部隊では、艦艇装備幹部で、造修補給所の企画調整課へ勤務したり、専門課程修了後は艦艇開発隊に配属になり、誘導武器課で実用試験や装備認定試験の主担当をしていました。
一通り開発隊で経験を積んだのちに、情報本部へ異動。情報分析の仕事をしました。
ーー武器開発にも携わっていたんですね。自衛隊在職中の思い出やエピソードはどのような経験がありますか。
新井さん:開発部隊における近接信管実用試験の主担当業務経験ですね。開発部隊では、航空機や艦艇に協力してもらい試験を行うのですが、護衛艦に乗って、航空機で引っ張ってもらった標的を打ち落とし、標的回収までが実用試験になります。それを成功させた時の感動はいまも忘れられません。
実用試験は、標的を引っ張る航空機や観測する護衛艦を出したりと多くの関係者が関与しますので、すごい緊張しました。武器を発射した後に近接信管が作動して、標的に穴が開けば成功なんですが、ときどき標的を引っ張っている紐が切れたりもして。
もちろんいろいろ想定した上で、試験計画策定、実施管理や事前に所掌関係各所にプレゼンするのですが、成果を出すプレッシャーがすごかったです。なので、成果が出た時は、本当に嬉しかったですね。
当時まだ20代の2等海尉でしたが、そのマネジメント業務を成功できたことはその後のキャリアの自信にも繋がりました。
ジェンダー問題を経験、乗り越えることで、ヒトに関心を持つことに
ーー抜擢だったんですね。一方で女性がまだ少ない組織でのハードル等ありましたか。
新井さん:それこそ私の期が防衛大学校女子4期でしたので、1学年に数人規模ですし、一般大学からも入隊があるとはいえ、海上自衛隊は特に女性幹部自衛官は少なかったです。そのため、珍しさからかいろいろなところでジェンダー問題は正直苦労してきました。
あるときは、開発案件の調整で陸上自衛隊幹部のもとに調整に行った際、「海上自衛隊は、試験をやりたいから女性幹部を送ってきたのか?」なんてよく分からないことを言われたり、直属上司からも嫌がらせを受けたこともありました。
ただ、苦労した分、ヒトに関心を持つきっかけになりました。この人たちはどうしてこんな考え方になってしまうのかなとか、こうした考えの人がいることによる組織への影響や是正のための教育、人材活用、女性の生き方を勉強し、常に考えていましたし、いまのヒトの仕事をしようと思ったきっかけでもあります。
悔しい思いをバネにして、いまでこそ仕事でも使えるようになったと思っています。
転職時働き方を考えるうえで大事にしたこと
ーーポジティブですね。自衛隊組織内での女性進出のモデルを作ってこられたかと思います。ここから転職に関してですが、なぜ自衛隊から民間企業へ転職されようと思ったのでしょうか。
新井さん:転職を考えたのは、企業に勤める男性と結婚したことや当時不妊に悩んでいたことで、全国転勤にとても抵抗があったことです。
夫の企業や就職するであろう企業では産休・育休制度が整っていないなどの不安もありましたが、そうした環境が整っている自衛隊に残り、結果的に子どもに恵まれなかったけれども全国転勤でばりばり自衛隊で働く自分の人生と、夫と一緒に暮らし、やってみたことをやってみて、それでも結果的に子どもに恵まれなかった人生と、どちらが幸せか?を考えたときに、これは後者だ。と思いました。
当時自衛隊でも、地域限定職もあったのですが、当時限定職に移行したはずの女性幹部自衛官が転勤を命じられたようなケースもありました。職務優先せざるを得ない組織使命があるため、仕方が無いとはいえ、私の場合は割り切れませんでした。
後輩女性自衛官のために道を切り開くマインドもありましたが、十分寄与しただろうと、自分の生活を守りたくて転職を決心しました。
転職活動、狙いはベンチャー企業に
ーー転職時は情報収集、スケジュール等の準備が必要だったと思います。どのような準備をされましたか。
新井さん:市ヶ谷の情報本部に勤めていたときに活動していましたので、説明会や面接に行くアクセスに困ることはありませんでした。
職務経歴書の書き方などは、既に転職していた同期に相談して教えてもらったりもしました。転職当時は29才で、大手企業への転職も考えていたのですが、大きい組織での働き方を既に経験し、組織の一部の仕事をするのはあまり自分の性に合わないと感じていたため、自分がプレイヤーとして社会を変えていけるようなベンチャー企業に就職活動を絞りました。
とくに食に関わる仕事や貢献できることをしたいと考えて活動していました。
食に関心があったのは、自衛隊在職時にも今後のことを考え、保育学を学びつつ、保育における食の重要性を学んでいました。そして、多くの人たちへ影響をさせたいと思っているなか、インターネットで食を変えるオイシックス社を知り、その使命に共感し、応募しました。
職務経歴書は、かなり自作感ありましたが、パワーポイントで作成しました。パワーポイントやプロジェクト運営ができることをアピールできるだろうことや、自衛隊の仕事はそのままスライドしても企業担当者へ理解してもらえないので、ポータブルスキルや携わったプロジェクトの規模感や功績をしっかり論理立てて説明できるため、あえてそうしました。
結果的にオイシックスはベンチャー企業で、集団説明会から次の選考が役員面接で、3日くらいで決まりました。すごい早かったです。
こんなに早いとは思わなかったため、当時むしろ心配だったのは、内定をもらった後に、すぐに自衛隊を辞められるのかどうか?ということでした。
転職活動を始める時点で上司に相談や根回しをしており、要所に根回しを周到に行っていたため、優先的に稟議をあげてもらい比較的スムーズに退職に至りました。
ーーNPO事務局の他、キャリアコンサルタントとしてもご活躍中ですが、今後のご自身のキャリアをお聞かせください。
新井さん:現在は、事務局長以外にキャリアコンサルタントをしています。
キャリアコンサルタントは国家資格でお求職者の自己実現のためのキャリアについてトータルにサポートをすることですが、いまは企業や行政からの委託でキャリア面談をしたり、個人のお客様からキャリア相談を受けて、カウンセリングの仕事をしています。
こうした経験は、ヒトに関わる仕事をしたいと思い、オイシックス社後に転職した人材系会社のジェイブレイン社で得たものです。
そこで培った求職者との面談経験、ノウハウや、もともと自衛隊の頃からヒトに関わる仕事をしていきたいと思っていたため、ヒトのキャリアに寄り添う仕事をしていこうと考えています。
面談する候補者が企業でどのような活躍をできるのかを推測できる訓練を大変積ませてもらいました。そうした目利きがキャリアコンサルタントの仕事では生かせています。
併せて、人材系の仕事は、ビジネスや企業についてよく知れるので、自衛隊から転職するにあたっては一つのステップとしても良い就職先ではないかとも思っています。
自衛官だったことで生かせる能力
ーーなるほど、まず世間を知る意味でも人材系企業はいろいろ知見がえられそうですね。また、新井さんが考える、自衛官だった事で活用できる能力、マインド、スキル等ありましたら教えてください。
新井さん:最近言われて気づいたのですが、「忍耐強さ」は強みがあるようです。これは間違いなく自衛官だったことで身につけた強みだと思います。
基本的には「攻めながらも危機管理としての守り」も同時に思考できることも、大きな失敗をしない強みのように思いますし、慎重な方が信頼されることがあります。
ーー危機管理とは具体的にどういうことでしょうか?
新井さん:私がいま行っているNPOの仕事は情報セキュリティを非常に厳しく扱っています。被害者が表に出るようなことになると由々しき事態なので。
ただ、関係各所と連携する上では、ある程度の情報を出さなくてはいけませんが、表に出せることとそうでないことや個人情報に繋がってしまう直感や情報と情報がつながると個人情報が出てしまう直感が働きます。
これは、厳格な情報管理が求められる自衛隊で培ったものだと思っています。
私はベンチャー企業での勤務が長いですが、ベンチャーの良いところは、いけいけどんどんで行けるところだと思います。一方で、一歩間違えると会社が倒産してしまうくらいのこともあり、そうした危機管理のアンテナが立つのは、
「自衛隊×ベンチャー」
の素養としても生きるのではないかと思っています。
再就職、転職する自衛官に向けてのアドバイス
キャリアを考える上で大事なこと
ーー自衛隊×ベンチャー良いフレーズですね。では、これから再就職をする人に向けてのアドバイスをお願いいたします。
新井さん:自衛隊転職に限らず、キャリアを考える上では、自分が最も大事にしたいものを大事にして欲しいと思います。
「あなたにとって一番大事なものってなんですか?」
をまず考えて、キャリアを考えて欲しいです。
私の場合は、自衛隊は天職だと思っていたし、今もそう思っていました。ただ、家族と一緒にいたかったことが唯一の条件でした。家族と一緒にいられないことは、最も譲れないことでした。
人生選択肢はいろいろとありますし、時間、環境の変化でその価値観も変わります。ただ、大事なことをしっかり考えて、担保できていれば、その選択をしても後悔しないと思います。
私は、自衛隊退職当時は、子供がいませんでしたが、結果いま3人の子供に恵まれています。夫とも一緒に暮らして子育てができています。それまでは大変なことばかりでしたし、今も大変なことは多いですが、自分の大事なことを優先した結果良かったと思っています。
ですので、いまその時、何が自分にとって大事か、そして大事にしていることを優先すべきだと思います。
ありがとうございました。新井さんへメンターとしてコミュニティで直接話を伺えますので、ご希望の方は下記よりお申し込みください。